1. はじめに
行政法における即時強制は、行政機関が公共の安全や秩序を維持し、または急迫した危険を回避するために、国民の身体や財産に対し、義務の存在を前提とせずに直接実力を行使する作用を指します。行政強制全体の中で、即時強制は、行政代執行や直接強制といった「行政上の強制執行」とは異なり、義務の不履行を前提としない性質を有します。
本稿では、即時強制の定義、性質、具体例を包括的に解説します。
2. 即時強制の定義
即時強制は、その基本的な定義において、「義務の存在を前提とせず、行政上の目的を達するため、直接身体もしくは財産に対して有形力を行使すること」とされます。この点は、行政処分による義務づけを前提として行われる行政強制(強制執行)とは明確に区別されます。
即時強制は、行政行為(法行為)ではなく、実力行使を伴う「権力的事実行為」です。
3. 即時強制の位置づけ
行政法における強制手段は、大きく分けて「行政上の強制執行」と「即時強制」に分類されます。行政上の強制執行は、義務が課されているにもかかわらず、その義務を履行しない場合に、行政庁が実力行使して義務を履行させるものです。これに対し、即時強制は義務の不履行を前提としない点が最大の違いであり、行政処分による義務づけを前提としない点で特異な位置を占めます。
行政上の強制執行には、主に以下の4種類があります。
- 代執行: 他の者が代わって行うことができる義務(代替的作為義務)が履行されない場合に、行政庁が自ら行うか第三者に行わせて義務を履行させ、その費用を義務者から徴収する手段です
- 執行罰: 非代替的作為義務や不作為義務の不履行に対し、一定の期間を定めて、その期間内に履行しない場合には一定額の過料を科すことを予告し、その心理的圧迫によって間接的に義務の履行を強制する手段です
- 直接強制: 義務の不履行がある場合に、義務者の身体または財産に直接実力を行使して、義務が履行されたのと同一の状態を実現するもののうち、代執行を除いたものを指します。即時強制は「果たしていない義務があるかどうか」で直接強制と区別されます
- 行政上の強制徴収: 国民が国または地方公共団体に対して負担する金銭債務の不履行がある場合に、行政庁が強制的に徴収する手段です
表1: 行政強制の種類と即時強制の比較
種類 | 概要 | 前提となる義務 | 目的 | 主な根拠法 | 具体例 | |
行政上の強制執行 | 代執行 | 義務者に代わって行政庁または第三者が義務を履行し、費用を徴収 | 有(代替的作為義務) | 義務の履行確保 | 行政代執行法、個別法 | 違法建築物の強制撤去、収用された土地の強制明渡し |
執行罰 | 義務不履行に対し過料を予告し、心理的圧迫で履行を促す | 有(非代替的作為義務、不作為義務) | 義務の履行確保 | 砂防法 | 砂防法に基づく過料予告 | |
直接強制 | 義務者の身体・財産に直接実力を行使し、義務履行と同等の状態を実現 | 有(非代替的作為義務、不作為義務) | 義務の履行確保 | 成田新法、個別法 | 不法入国者の強制退去、成田新法に基づく工作物の除去 | |
行政上の強制徴収 | 金銭債務の不履行に対し、行政庁が強制的に徴収 | 有(金銭債務) | 金銭債務の履行確保 | 国税徴収法、地方税法 | 税金滞納処分 | |
即時強制 | 即時強制 | 義務を課すことなく、身体・財産に直接実力を行使し、行政目的を直接実現 | 無 | 急迫の障害除去、行政目的の直接実現 | 警察官職務執行法、感染症法、国民保護法、条例など | 泥酔者の保護、感染症患者の強制入院、放置自転車の撤去 |
「直接強制」と「即時強制」の境界線は、「義務の有無」です。
また、即時強制が公権力の行使である以上、法律の根拠が必要であることは原則です。条例も即時強制の根拠法になるとされています。これは、国法を必要とすることが多い主要な強制措置の中で、地方自治体が地域固有の緊急課題(例えば放置自転車の強制撤去)に対応するための柔軟性を認めるものです。
4. 即時強制の法的根拠と要件
即時強制は、国民の身体や財産に直接実力を行使する権力的作用であるため、法律による行政の原理(法律の留保原則)が強く働き、その行使には法律の根拠が不可欠です。前述のとおり、条例も即時強制の根拠法たりうる場合があり、例えば、放置自転車条例に基づく放置自転車の強制撤去などがその例として挙げられます。
即時強制の行使には、以下の厳格な要件が求められます。
- 急迫性: 即時強制は、「急迫の障害を除く必要上、やむをえない場合に限って」法令で認められるものです。これは、義務を課し、その履行を待つ時間的余裕がない場合、または目的の性質上、義務を課すことによっては目的が達成できない場合に適用されることを意味します。
- 必要性: 行政目的を達成するために、当該強制手段が不可欠であると認められることが必要です。
- 比例原則の適用: 行使される実力は「必要最小限度」にとどまるべきであり、過剰な強制は違法となります。これは、警察官職務執行法第1条第2項や感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(現行法では第22条の2に「必要最小限度」の規定がある)に示されるように、行政活動における基本的な原則です。
即時強制は、行政代執行法のような一般法を持たず、個別の法律にその根拠が定められています。
個別法における根拠規定の例としては、警察官職務執行法、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律、出入国管理及び難民認定法、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法) などが挙げられます。
5. 即時強制の具体例と適用事例
即時強制は、その性質上、様々な行政分野で適用されています。主に、個人の身体の自由を直接制限するものと、財産に対して実力を行使するものに分けられます。
身体に対する即時強制の事例:
- 警察官職務執行法
- 保護(第3条): 泥酔して路上で寝ている人や迷子の幼児など、保護を要する者を安全な場所に移動させる行為が含まれます。
- 避難等の措置(第4条): 災害発生時など、人の生命または身体に危険が迫っている場合に、警察官が住民に避難を誘導する措置です。
- 犯罪の予防・制止(第5条): 犯罪がまさに行われようとしているのを認めた際に、その予防のために関係者に警告を発し、急を要する場合にはその行為を制止する措置です。これには、集会の解散命令も含まれる場合があります。
- 武器の使用(第7条): 犯人の逮捕や逃走防止、自己または他人に対する防護、公務執行に対する抵抗の抑止のために必要と認められる場合に、合理的に必要と判断される限度で武器を使用することが許容されます。
- 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)
- 健康診断の実施(第17条): 都道府県知事は、感染症のまん延防止のために必要があると認めるとき、勧告に従わない者に対して職員に健康診断を行わせることができます。
- 入院(第19条、第20条): 一類感染症のまん延防止のため、患者が入院勧告に従わない場合に、都道府県知事が特定感染症指定医療機関等に強制的に入院させる措置です。これらの措置は、感染症のまん延防止という公益上の緊急の必要性に基づいて行われます。
- 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律:
- 精神障害者の強制入院(第27条、第29条): 自傷他害のおそれがあると認められる精神障害者に対し、知事が措置入院をさせる場合などがこれに該当します。
- 出入国管理及び難民認定法:
- 収容、退去強制措置: 退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由がある外国人に対し、入国警備官が収容令書により収容したり、送還したりする措置は即時執行であるとされています。
財産に対する即時強制の事例
- 道路交通法
- 放置車両のレッカー移動(第51条): 交通の妨害となる放置車両を、所有者の義務を待たずに強制的に移動させる措置です。
- 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)
- 避難住民の収容施設・医療施設開設のための土地の使用(第82条第2項): 武力攻撃災害時において、避難住民の保護のために土地を一時的に使用する措置です。
- 放射性物質・化学物質等で汚染された物件の廃棄、建物への立入制限、建物の封鎖等(第108条第1項): 汚染された物件の処理や、危険な建物への立ち入りを制限・封鎖する措置です。
- 武力攻撃災害への対処のための土地、建物その他工作物の一時使用、物件等の使用又は収用(第113条第1項)並びに工作物の除去(同条第2項、第3項): 武力攻撃災害への対処のため、土地や建物を一時的に使用したり、不要な工作物を除去したりする措置です。
- 地方公共団体の条例
- 横浜市船舶の放置防止に関する条例
放置自転車条例に基づく、放置された船舶や自転車の強制撤去などが挙げられます。
表2: 主要な即時強制の具体例と関連法規
関連法規 | 条文(該当条項) | 具体的な措置内容 | 対象 |
警察官職務執行法 | 第3条 | 泥酔者、迷子の保護 | 人の身体 |
第4条 | 災害時の避難誘導 | 人の身体 | |
第5条 | 犯罪の予防・制止、集会の解散命令 | 人の身体 | |
第7条 | 犯人逮捕、自己防護のための武器使用 | 人の身体 | |
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律 | 第17条 | 健康診断の強制実施 | 人の身体 |
第19条、第20条 | 感染症患者の強制入院 | 人の身体 | |
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 | 第27条、第29条 | 精神障害者の措置入院 | 人の身体 |
出入国管理及び難民認定法 | 収容、退去強制関連条項 | 外国人の収容、退去強制 | 人の身体 |
道路交通法 | 第51条 | 放置車両のレッカー移動 | 物の財産 |
武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律 | 第82条第2項 | 避難住民の収容施設・医療施設開設のための土地の使用 | 物の財産 |
第108条第1項 | 汚染物件の廃棄、建物への立入制限・封鎖 | 物の財産 | |
第113条第1項、第2項、第3項 | 土地・建物・物件の一時使用・収用、工作物の除去 | 物の財産 | |
地方公共団体条例 | 例:放置自転車条例 | 放置自転車の強制撤去 | 物の財産 |
これらは、即時強制が公共の安全、公衆衛生、国家安全保障といった重大な公益が危機に瀕している状況で発動されます。しかし、これらの措置は、個人の身体の自由(強制入院、収容など)や財産権(物件の強制撤去、土地使用など)といった基本的人権を直接的に侵害します。ここで、「必要最小限度」の原則が、法的かつ倫理的な制約として極めて重要になります。
即時強制の限界と違法性判断基準
即時強制は、その目的達成のために「必要最小限度」の範囲内で行われるべきであり、過剰な強制は違法となります。違法な即時強制に対する救済としては、国家賠償請求が主な手段となります。即時強制は行政行為ではないため、原則として取消訴訟や無効確認訴訟は困難とされますが、実力行使が継続的な場合には取消訴訟が認められる場合もあります
即時強制は、急迫した危険の除去や行政目的の迅速な達成のために不可欠な行政作用です。しかし、その権力的性質ゆえに、常に国民の権利利益との調和が求められます。国民の身体・財産に直接影響を及ぼすため、その行使には厳格な制約が求められます。
出典(2025年6月13日アクセス)
- Wikipedia | 即時強制
- ⅩⅢ.即時執行(即時強制)
- 即時強制(ソクジキョウセイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- 「即時強制」の系譜
- 行政上の義務履行確保(2)、即時強制
- 行政代執行制度の基本と実務
- 地方自治研究機構, 行政代執行制度の基本と実務
- 第五条 【犯罪の予防及び制止) 警察官は
- 立命館大学,再考 行政法における 強制措置に関する理論的基盤(一)
- 厚生労働省 現行の感染症法等における課題と対応等について
- 厚生労働省, 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律抄
- 厚生労働省,・感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(◆平成10年10月02日法律第114号)
- 地方自治研究機構,空家対策と代執行②
- 出入国管理及び難民認定法 | e-Gov 法令検索
- 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律 | e-Gov 法令検索
- 災害対策法制のあり方に関する研究会(第2回) 議事概要
- 警察官職務執行法第7条 - Wikibooks
- 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律|条文|法令リード
- 出国命令 | 出入国在留管理庁
- 出入国管理及び難民認定法 - Wikibooks
- 監理措置制度について | 出入国在留管理庁
- 出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特...
- 国土交通省,行政強制における「対物」との視点からの 「ジュリスプリュデンス」
- 立命館大学義務と強制の理論
- 東洋大学学術情報リポジトリ,事実行為の処分性に関する一考察
- 一橋大学 | 大学院法学研究科 法学部 厚木基地訴訟の検討
- 第五次厚木基地爆音訴訟, 裁判闘争の簡単な経過 | 第五次厚木基地爆音訴訟