行政法解説

行政事件訴訟法 | 執行停止制度をわかりやすく 不服審査法との違いも

はじめに

行政事件訴訟法における執行停止制度は、行政活動の適法性を争う国民の権利利益を保護するための、重要な仮の救済措置(仮の救済措置)である。

行政処分に対する取消訴訟が提起されても、その効力や執行が直ちに停止されるわけではない。この「執行不停止の原則」は、行政活動の安定性を維持するために不可欠である。しかし、この原則を貫徹すれば、訴訟が数ヶ月、あるいは数年に及ぶ間に、例えば建物が取り壊されたり、営業許可が失われたりして、たとえ原告が最終的に勝訴判決を得たとしても、その勝利が意味をなさない「空虚な勝利」に終わる危険性がある。執行停止制度は、まさにこのような事態を防ぎ、司法による実効的な権利救済を確保するために設けられた例外的な仕組みである。

本稿では、まず執行停止制度の根底にある「執行不停止の原則」を概観し、その上で制度の具体的な内容、厳格な発動要件、申立てから決定に至るまでの手続、そして他の救済制度との比較分析を解説する

執行不停止の原則という基礎

法的根拠と趣旨(行政事件訴訟法第25条第1項)

行政事件訴訟法第25条第1項は、「処分の取消しの訴えの提起は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げない」と明確に規定している。これが「執行不停止の原則」である。この原則の根底にある政策的理由は、行政の円滑な運営を確保することにある。もし訴訟提起だけで行政処分の効力が自動的に停止されると、単に時間稼ぎを目的とした濫訴が頻発し、行政活動が麻痺するおそれがあるためである。

「空虚な勝利」のリスク

この執行不停止の原則は、行政の安定性という公益を保護する一方で、原告にとっては深刻なジレンマを生じさせる。訴訟には相当の時間がかかるため、その間に処分の執行が進んでしまうと、本案訴訟で勝訴しても手遅れになる可能性がある。

例えば、開発許可処分の取消しを求めて近隣住民が訴訟を提起しても、執行不停止の原則により、訴訟係属中に開発業者は工事を続行できる。そして、判決が出る前に工事が完了してしまえば、もはや開発許可を取り消す実益がなくなり、訴えは「訴えの利益なし」として却下される可能性がある。これでは、司法審査の機会そのものが奪われかねないのである。

執行停止の性質と類型

中核的目的 本案訴訟の実効性確保

執行停止は、本案である取消訴訟の判決が出るまでの間の「仮の救済」であり、現状を維持することで、本案訴訟における勝訴判決が価値を失うことを防ぐことを目的とする。その性質上、常に本案訴訟に付随する手続きである。

執行停止の三つの階層(第25条第2項)

裁判所が命じることができる執行停止には、その対象に応じて3つの種類があり、それぞれが行政活動の異なる側面を停止させる。

処分の執行の停止: 処分に基づき行われる物理的・具体的な強制力を停止させる。例えば、課税処分に基づく財産の差押えを中止させたり、除去命令に基づく建物の代執行(強制的な取壊し)を止めたりする場合がこれにあたる。

手続の続行の停止→ある処分に引き続いて行われる一連の行政手続の進行を停止させる。例えば、除去命令が出された後、代執行に至るまでの戒告や通知といった手続を停止する場合などである。

処分の効力の停止: 最も強力な措置であり、処分の法的効力そのものを一時的に失わせる。例えば、取り消された営業許可の効力を暫定的に復活させ、訴訟係属中の営業を可能にするといった場合である。

補充性の原則

これら3つの措置の間には明確な序列が存在する。行政事件訴訟法第25条第2項ただし書は、「処分の効力の停止は、処分の執行又は手続の続行の停止によつて目的を達することができる場合には、することができない」と定めている。

これは「補充性の原則」と呼ばれ、裁判所はまず「執行の停止」や「手続の続行の停止」といったより制限的な措置で目的を達成できるかを検討しなければならない。処分の法的効力そのものが「重大な損害」の原因となっている場合に限り、最後の手段として「効力の停止」が認められる。

執行停止を認めるための厳格な要件

執行停止は例外的な措置であるため、その発動には厳格な要件が課されている。

手続上の前提条件:取消訴訟の提起

執行停止は、単独で申し立てることはできない。必ず、本案である処分の取消訴訟などが裁判所に適法に係属していることが前提となる(本案として取消しの訴えが提起されていること)。申立ては、本案訴訟の提起と同時、または訴訟が係属している間であればいつでも可能である。

積極的要件:「重大な損害を避けるため緊急の必要があること」

「重大な損害」の解釈(第25条第3項)

何が「重大な損害」にあたるかを判断する際の考慮要素を第25条第3項

裁判所は、以下の要素を総合的に勘案しなければならない。

  1. 損害の回復の困難の程度
  2. 損害の性質及び程度
  3. 処分の内容及び性質

損害は、事業基盤の崩壊や社会的信用の失墜といった、金銭では回復できない無形の損害も含むと解されている。

「緊急の必要性」の要素

「緊急の必要」とは、本案判決を待っていては損害の発生が避けられない、差し迫った状況を指す。これにより、損害の重大性だけでなく、時間的な切迫性も要件とされている。

消極的要件:申立てを排斥する事由(第25条第4項)

たとえ上記の積極的要件が満たされても、次に挙げる消極的要件のいずれかが存在する場合、裁判所は執行停止をすることができない。

「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」

これは、個人の「重大な損害」と、執行停止によって生じる「公共の福祉への重大な影響」とを比較衡量する要件である。例えば、危険な医薬品の販売停止処分を停止することが公衆衛生を著しく害する場合や、重要な公共事業を停止させることが社会全体に深刻な不利益をもたらす場合などには、執行停止は認められない。この要件の存在についての主張・疎明責任は、行政庁側が負う。

「本案について理由がないとみえるとき」

これは、本案訴訟の勝訴の見込みに関する一応の審査である。裁判所は、原告の請求が明らかに棄却されるであろうと判断する場合には、執行停止を認めない。

ここで重要なのは、要件が「本案について理由があるとみえるとき」ではない点である。原告は、本案で勝訴する蓋然性が高いことまで示す必要はなく、単にその訴えが全く根拠のないものではないことを示せば足りる。勝訴の見込みが不確かな場合でも、執行停止は可能である。この「理由がない」ことの主張・疎明責任もまた、行政庁側にある。

この本案の勝訴の見込みに関する要件の定め方は、意図的な法的設計の結果である。執行停止は、現状を維持するための「防御的」な措置であるため、本案訴訟が明らかに無益でない限り、その利用が認められるようハードルが低く設定されている。これに対し、後述する「仮の義務付け・仮の差止め」は、行政庁に特定の作為・不作為を命じる「攻撃的」な措置であり、行政への介入の度合いが格段に大きい。そのため、これらの強力な措置を発動するには、原告が「本案について理由があるとみえる」こと、すなわち、より高い勝訴の見込みを示すことが求められる

執行停止申立ての手続

1.申立て、疎明、決定

執行停止の手続は、当事者からの「申立て」によって開始され、裁判所が職権で行うことはできない。申立人は、主張する事実について「証明」よりも一段階低い程度の確からしさで足りる「疎明」を行う責任を負う。裁判所の判断は、判決ではなく「決定」という形式で示される。

2. 意思決定プロセス

迅速な判断を可能にするため、正式な「口頭弁論」を経ずに決定することができる。ただし、決定に先立ち、裁判所は必ず「当事者の意見をきかなければならない」とされている。

3. 不服申立てとその効力

執行停止の申立てに関する裁判所の決定に対しては、原告・被告のいずれも「即時抗告」をすることができる。原告は申立てが棄却・却下された場合に、被告である行政庁は申立てが認容された場合に、それぞれ不服を申し立てることができる。

この即時抗告には、執行停止決定の効力を停止させる効力がない(執行停止の効力を有しない)。これは民事訴訟の原則の例外であり、裁判所が一旦執行停止を認めた場合、その救済が上級審の判断を待たずに直ちに実現されることを保障するものである。

4. 執行停止決定の法的効力

執行停止決定の効力は、決定の時から将来に向かってのみ発生する(将来効)。過去に遡って処分の効力を覆したり、既に生じた損害を回復させたりするものではない。したがって、建物の取壊しが既に完了している場合など、処分が執行済みであれば、もはや停止すべき対象が存在しないため申立ては認められない。執行停止が認められれば、例えば業務停止処分を受けた弁護士は、決定の時点から業務を再開することができる。

決定後のメカニズムと行政による監督

事情変更による執行停止の取消し(第26条)

一度なされた執行停止の決定は、永続的なものではない。決定が確定した後でも、①執行停止の理由が消滅した場合、または②その他の事情が変更した場合には、裁判所は相手方(行政庁)の申立てにより、決定をもって執行停止の決定を取り消すことができる。

例えば、建物の倒壊の危険性がないとして除去命令の執行が停止されていたが、その後の劣化により、建物が今にも倒壊しそうで公共の安全に明白な危険が生じた場合、裁判所は事情の変更を理由に執行停止決定を取り消し、行政庁による除去を可能にすることができる。

内閣総理大臣の異議(第27条)

これは、執行停止制度において最も強力かつ異例の規定である。行政権の長である内閣総理大臣は、裁判所の執行停止決定に対し、理由を付して異議を述べることができる。異議が述べられた場合、裁判所はその決定を行うことができず、既に行っている場合はこれを取り消さなければならない。

この制度は、司法権の独立に対する行政権の重大な介入であり、三権分立の観点から多くの議論を呼んでいる。裁判所が個人の「重大な損害」を救済するために下した判断が、行政のトップから見て国全体に看過できないほどの重大な悪影響を及ぼすと判断された場合に、最後の手段として発動される政治的な「非常ブレーキ」と位置づけられる。

他の仮の救済制度との比較

仮の義務付け・仮の差止めとの並置

これらは、義務付け訴訟や差止め訴訟といった、取消訴訟とは異なる類型の訴訟に付随する、より新しい仮の救済制度である。前述の通り、これらの制度は執行停止よりも要件が厳格に設定されている。

損害要件: 執行停止が「重大な損害」であるのに対し、仮の義務付け・差止めは、より高度な「償うことのできない損害」を要件とす。「償うことのできない損害」とは、事後的な金銭賠償では回復できない性質の損害を指すことが多い。

本案要件: 執行停止は本案に「理由がないとみえるとき」でなければ認められるのに対し、仮の義務付け・差止めは本案に「理由があるとみえるとき」でなければ認められない。

行政訴訟における仮の救済制度の比較

特徴執行停止仮の義務付け・仮の差止め
関連する本案訴訟取消訴訟義務付け訴訟・差止め訴訟
目的・性質防御的(現状維持)攻撃的(新たな状態の創出)
損害要件重大な損害償うことのできない損害
本案の勝訴見込み理由がないとみえるときに不可理由があるとみえるときに可能
決定機関裁判所裁判所
担保不要不要

行政不服審査法上の制度との対比

行政処分を争う手段としては、裁判所への訴訟提起の前に、行政機関自身に不服を申し立てる行政不服審査制度もある。ここにも執行停止の仕組みがあるが、訴訟上の制度とはいくつかの点で異なる。

判断機関→訴訟では「裁判所」が判断するのに対し、不服申立てでは「審査庁」という行政機関が判断する。

要件→一般に、訴訟における執行停止の要件の方が、行政不服審査における要件よりも厳格であると解されている。

救済の範囲→審査庁は、執行停止に加えて「その他の措置」として、元の処分をより軽い処分に変更する(例:免許取消を業務停止に変更する)といった、裁判所にはない柔軟な対応をとることが可能な場合がある。

内閣総理大臣の異議→行政不服審査手続には、この制度は存在しない。

主要判例

執行停止を認めた事例(認容例)

  • 画期的な判例:弁護士の業務停止処分(最決平19.7.19)
  • 事案: 弁護士が3ヶ月の業務停止の懲戒処分を受けた事案。
  • 判断: 最高裁判所は、この処分によって生じる社会的信用の低下や依頼者との信頼関係の毀損といった損害は、改正法が定める「重大な損害」に該当すると判断した。
  • 分析: この決定は、2004年改正後の「重大な損害」の解釈を象徴するものである。損害が単なる金銭的損失にとどまらず、職業上の信用といった無形の利益の毀損も含まれることを明確に認めた。これにより、改正の趣旨に沿って、裁判所が緩和された基準を積極的に適用する姿勢が示された。
  • 保育園入園不承諾処分に関する事例
  • これらの事案の多くは、より強力な「仮の義務付け」が争われることが多いが、その判断は示唆に富む。裁判所は、子どもの発達における特定の時期を逸することによる機会の喪失を、時間的制約のある深刻な損害として認識し、仮の救済の必要性を認める傾向にある。

執行停止を認めなかった事例(棄却・却下例)

  • 公共の福祉に関する懸念
  • 産業廃棄物処理施設: このような施設の稼働停止を求める申立ては、廃棄物処理という公共の必要性や、周辺住民への健康被害が疎明の段階では十分に立証されないことなどを理由に、棄却されることが多い。裁判所は、環境リスクと社会的必要性とを慎重に比較衡量する。
  • 開発許可・建築命令: 住民が開発許可の執行停止を求めた場合、裁判所は住民の生活環境上の利益(日照、景観、災害リスクなど)と、事業者の財産権や開発の公益性とを天秤にかける。危険が重大かつ緊急であることの疎明が不十分な場合、申立ては認められにくい。
  • 「本案について理由がないとみえるとき」
  • 本案訴訟の法的構成そのものに明白な誤りがある場合、執行停止の申立ては却下される。例えば、そもそも行政事件訴訟の対象となる「行政処分」に該当しない行為の取消しを求めているような場合、本案訴訟自体が不適法であるため、それに付随する執行停止も認められない。この要件は、濫訴的な執行停止の申立てを排除するフィルターとして機能している。

まとめ

行政事件訴訟法における執行停止制度は、行政の安定性を重んじる「執行不停止の原則」の例外として設計された司法上のツールで。

しかし、この制度は依然として例外であり、その運用は常に、個人の権利保護の緊急性と、公共の福祉の維持という二つの要請との間の慎重な「比較衡量」によって成り立っている。

出典(2025年6月18日アクセス)

  1. 行政事件訴訟法 | e-Gov法令検索
  2. 行政不服審査法第25条 - Wikibooks
  3. 政事件訴訟法第25条 - Wikibooks
  4. 行政事件訴訟法第26条 - Wikibooks
  5. 滞納処分における執行停止に関する諸問題 岩 淵 浩 之
  6. 滞納処分における執行停止に関する諸問題 - 国税庁 滞納処分における執行停止に関する諸問題
  7. 行政事件訴訟法(6)「執行停止制度」 | クマべえの入門講座ブログ 行政事件訴訟法(6)「執行停止制度」 | クマべえの入門講座ブログ
  8. 行政事件訴訟法の執行停止
  9. note 「行政訴訟」における「執行停止」についてー民事仮処分との違いー|弁護士 水野泰孝
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